さんさ

さんさの季節になると憂鬱になる。


大概の人にとっては、
夏の知らせ、夏の風物詩として、
大歓迎なのだと思う。


盛岡市出身ではないのですが、
岩手を代表する祭として、
ちょっと不満なところがある。


それは、参加者が主体であること。
「参加者だけ」が満足する(と思われる)点。


参加者から見る側への提供がないと思う。
例えば、秋田の竿灯は、職人が技を見せている。
提供がある。


踊りや太鼓、笛だって技だという人もいるかもしれないが、
素人がやるそれは、真似事であって技ではないと思う。
なので、プロやベテランだけがやればいいように思う。


音楽に関しても、同じ音楽を数時間も、爆音で。
迷惑な人もいるだろう。
交通も規制され、渋滞がおこる。
これは、迷惑だ。


踊ったり、太鼓たたいたり、笛吹くにしても、
通りでやる必要はないような気がする。
家か広場でやってれば良いのになと。
やっぱり、見せつけたいのかと思ってしまう。


自己満足に飽き足らず、
公然でオナニーをしているように受け取れる。
と、言ったら言い過ぎか。


伝統、歴史におんぶしている様に感じることもある。
伝統、歴史を盾に公然で、、、


こんなことを8月になると思い返してしまう。
こんなことを思ってしまう自分に対し、
憂鬱になる。


こんなことを思わないように精進します。